雲龍寺イメージ


寺院概要

雲龍寺は曹洞宗(禅宗)に属し、大本山は福井県永平寺町の永平寺と横浜市鶴見区の総持寺と二つあり、 このお寺は正親町天皇より紫衣と勅賜禅師号を賜った勅賜佛國普照禅師が開山(天正八年=1580年5月15日)しました。 本郷村の投込み寺といって、無縁貧困者の無付届寺として建立。明治に至って廃寺同然のところを「三十六世 足利正山」が 再興し、昭和20年第二次世界大戦の空襲で全焼。 「三十七世 足利正明」が戦役から帰郷しただちに再建しました。 戦災孤児らを寺でお世話をしながら福祉事業に貢献し後に社会福祉法人多摩養育園を設立。現在16施設を運営しています。 昭和38年東京オリンピックに際し区画整理により八木町から現在の山田町へ移転しました。 そして現在のような堂々たる伽藍を揃えた寺に発展しました。 今後、旧建物の建て替えにより更に地域に貢献できる斎場を備えた多目的ホール等の建設を予定しいます。 雲龍寺の功績を残した「三十七世 足利正明」は平成19年3月に92歳にてに遷化しました。 そして今の住職「三十八世 足利正哲」が引き継ぎ、現在に至ります。


寺院概要

・永平寺

大本山永平寺は、高祖道元禅師(こうそどうげんぜんじ)が1244(寛元2)年、傘松峰大仏寺を開き、のちに吉祥山永平寺と改められました。約750年の歴史を誇るこのお寺は今でも200余名の修行僧が修行に励んでいます。

・総持寺

大本山總持寺は、石川県にあった諸嶽(もろおか)寺を1321(元亨元)年、太祖瑩山禅師(たいそけいざんぜんじ)が諸嶽山總持寺と改められたのが始まりです。明治時代に焼失したのをきっかけに現在の横浜市に移転しました。瑩山禅師の教えそのままに他の利をいかし、現在も社員研修や参禅会等が行われています。

山門

■山門

境内

■五重塔


諸堂拝観
東の間

■東の間

西の間

■西の間

ご本尊

■本堂


境内名勝
昭和丗八年五月十五日 天海山雲龍寺

昭和丗八年五月十五日 天海山雲龍寺

「産寧坂車地蔵尊」


今から700年の昔、鎌倉時代に本郷村の村長(むらおさ)である寺があった。門前の坂道は秩父への鎌倉街道である。 この坂は急坂で、転んで怪我をする人も少なからず、地蔵尊がまつられてあった。ここでころんでも三年たてば全くなおるので、 この坂を村人は三年坂と云った。この地蔵尊に安産、子育てを祈り、京の清水(きよみず)にならい、この坂を産寧坂と名付けられた。 車地蔵尊は、箱根宮下と現体とは兄弟と伝えられ、延享三年古い石像が朽ちたので村の有志たちが、再建した。関東大震災で台座が折償し、 日米戦争で車だけ焼けた。車はもとの如く再建された。寺が昭和丗八年旧地よりここ山田町に移り地蔵尊もこの丘上に移った。 旧地八王子市八木町三年坂は甲州街道バイパスとなりこの地蔵尊の分身がまつられている。また、市の北郊多摩老人ホーム内にも分身がまつられており、 分身二体の新建願主は當寺丗七世正明戒珠和尚である。 交通安全、安産、子育ての地蔵尊 願う者に功徳を与える慈悲力のある佛である。


「六地蔵尊」


人は死して後、天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄の六つの世界(六道)に生まれ代わると言われ、その各界を救う六体の大形の地蔵尊が光明霊園南側にまつられてあり、地蔵尊の諸著述に登載されています。


「達磨大師」


禅宗をお開きになりましたのは、達磨大師で、9年間坐禅をし続けたことで有名です。 五重塔の1階には木彫では日本一の達磨様が祀られており、毎年、12月31日大晦日の除夜の鐘から正月1月3日までが御開帳となり、 だるま市が開催され、多くの皆様の初詣で賑わいます。また3日の午前11時からは、古いだるまのお焚き上げが行われます。 また、五重塔の最上階にはインドより奉迎されたお仏舎利が安置されています。




TOP | 寺院概要 | 坐禅堂 |   年間行事 | 葬儀 |墓地案内 | お問い合せ

曹洞宗天海山雲龍寺

住 所:東京都八王子市山田町1688-2

TEL:042-661-6617・FAX:042-661-4425

Copyright(c) 2011, Unryuji All Rights Reserved.